福岡県筑紫野市の山家にある伊東マンショの墓に残る伝説を調べてみた (4/5ページ)
それを鑑みると、伝説そのものが現在の福岡県であっても山家宿ではなく、別の「場所」だったり、キリシタンの「本場」である長崎や天草、京都や大坂(現・大阪府)を舞台としていたなら、主役となる人物、そしてその名残とも言える「墓」や「苗字」や「地名」も当然、全く異なるものになっていたはずである。
■伝説が嘘か本当かはさておき
今回紹介した筑紫野市山家の「伊東マンショの墓」の伝説に限らず、「伝説」の解釈に関して小松は、「近代歴史学的な意味での歴史からは歴史とみなされないような内容であっても、人びとが抱く『歴史』を読み解くことであり、そこから彼らが生きてきた土地の文化、はたまた心の有り様がかいま見えてくる」と述べる。「歴史的常識」から考えたら、「伊東マンショ」や「伊東義賢」の墓所である可能性は極めて低いのだが、もしかしたら、彼らが実際に、宿場町ならではの活気と喧騒に満ちていた山家に流れ着き、キリスト教信仰を終生守り抜いていたのかも知れない…いろいろなことを我々が思い巡らすことで、「伊東マンショの墓」にまつわる伝説に、今再び、新たな命が吹き込まれる。