日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【完結編】 (6/9ページ)
こうなると女性の洋装化は、日本の男性との戦いのようにも思えてきます。
しかし、このように西欧化に強く影響されたのは都市部のみであり、地方の農村などの地域では、殆どの人々が昔とそれほど変わらない生活を送っていたのでした。
関東大震災という契機
関東大震災 其の夜の呉服橋近傍(大正震災画集晴帆画)八幡白帆:写 出典:東京都立図書館
1923年(大正12年)9月1日11時58分、関東南部を震源地として関東大震災が発生しました。ちょうど昼食時で火を使っていた家庭が多かったことや、能登半島付近に停滞していた台風による影響で関東地方全体に強風が吹いていたことから、あちこちから火の手が上がり大火災が発生したのです。
火事の火から逃れようと多くの人たちが川の中へと逃げ込み亡くなりました。他にも安全と思われるところに多くの人たちが殺到して、将棋倒しになって亡くなるということも多数起こりました。
上掲の絵を見ても女性は着物を着用していたので、現在のショーツ型の下着をつける習慣がありませんでした。そのためあられもない姿で亡骸となっている女性が多くみられたのです。
そのような状況を見た女性たちは、洋服というものを意識しはじめます。
1914年(大正14年)日本は第一次世界大戦に参戦します。当時すでに世界有数の工業国として近代工業が隆盛を誇っており、日本内地に戦火が及ぶことがなかったため、参戦国からの軍需品の注文を受け、日本はこれまでに無かったほどの大戦景気にわきました。