【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その2 (3/6ページ)

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(イメージ・写真:写真AC)

骨肉の争いの末、消えていく源氏一族

平氏追討などで功績をあげた源範頼。頼朝に謀反を疑われ失脚した。(写真:Wikipedia)

貞暁が仁和寺で仏道修行に励んでいる間、鎌倉では源氏一門が、骨肉の争いの末、次々と命を落としていきました。

先ずは、1193(建久4)年5月。頼朝の弟として幕府内で重きをなしていた源範頼[源義朝六男]が、謀反の疑いで失脚します。頼朝の兄弟の内、最も頼朝に忠実だった範頼が本当に謀反を計画したのかは不明のままです。

ただ、蘇我兄弟の仇討ち事件が起こった際、頼朝が討たれたとの誤報が届き、嘆き悲しむ政子に対し、範頼は慰めと励ましの言葉をかけます。

範頼:もし兄上が討たれたとしても、鎌倉にはこの範頼がおります。どうかご安心召されよ。

この言葉を政子は、鎌倉に帰還した頼朝に伝えたのです。

頼朝:範頼め。普段は大人しく振舞っていても、本心は余に代わる野望を抱いていたのか。

範頼は頼朝に対し叛意がないことを懸命に釈明しますが、伊豆に流罪になりました。そして、配流先の修善寺で誅殺されたとの説が有力です。

1199(建久10)年1月13日、貞暁の父初代鎌倉幕府将軍の源頼朝(享年52)がその生涯を閉じます。

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