【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その2 (4/6ページ)

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それに伴い、18歳の嫡男頼家が家督を相続し、第二代鎌倉殿(将軍就任は3年後)となりました。

幕府は若い将軍を補佐するために、北条時政・北条義時・梶原景時をはじめとする有力御家人による「十三人の合議制」を制定し、頼家が直接訴訟を裁断することを停止します。これに反発した頼家は、自分と比企宗員ら5人の若い近習たちのみに権力が集中する独裁体制を構築しました。

鎌倉幕府初代執権の北条時政。源頼家の排除に成功するが、後に政子・義時により追放された。(写真:Wikipedia)

時政:どうも頼家公は従来の慣例を無視して、全てを独裁される傾向にあるようじゃ。ここは、頼朝公以来の我ら宿老が幕府を束ねればなるまい。

頼家:時政め。いくら母の父であろうが、この頼家をないがしろにするにもほどがある。母も母だ。まずは北条の力を削がねばならぬ。

1203(建仁3)年5月、頼朝の弟で唯一生き残っていた阿野全成(あのぜんじょう)[源義朝七男]が、頼家から謀反の罪を問われ常陸国に配流のうえ誅殺されました。この時、頼家は全成の妻で政子の妹である阿波局を捕えようとします。しかし、政子は断固としてこれを拒否したといいます。

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