【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その3 (2/9ページ)

Japaaan

貞暁はなぜ京都を去ったのでしょうか。その理由はこの年に行われた北条政子の初上洛にあったと考えられます。

『吾妻鏡』によると同年10月10日、政子は異母弟である北条時房とともに熊野詣のために鎌倉を出発、27日に京都に入っています。

『吾妻鏡』には、この上洛の目的は記されていません。歴史家の多くは政子が私的に熊野に参詣したのだと考えているようです。しかし、幕府の最高権力者である政子と重役の時房が上洛するからには、何らかの目的があったはずです。

貞暁の高野山転居の謎を解く鍵が、高野山に言い伝えとして残っていました。

鎌倉から逃れても、貞暁は北条義時に執拗に命を狙われていた。義時の討手が迫ったので、急いで高野山一心院に逃れた。

おそらくこの伝承は真実と思われます。政子と時房は京都にいる貞暁と会い、時と場合によっては貞暁誅殺を企てていたのではないでしょうか。その計画を察知した貞暁は難を避けるために、仁和寺と縁のあった高野山一心院に身を移したのです。

 貞暁の命を狙っていたとされる北条義時。

では、政子はなぜ貞暁誅殺を企てたのでしょうか。その答えは1208(承元2)年当時の三代将軍源実朝の健康状態にあったと考えられます。

「【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その3」のページです。デイリーニュースオンラインは、貞暁鎌倉殿の13人北条政子源頼朝鎌倉時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る