「鎌倉殿の13人」奥州を滅ぼしたい頼朝、何とか止めたい後白河法皇…第21回放送「仏の眼差し」予習 (7/9ページ)
お褒めの言葉にあずかっていると、義盛が異議を唱えます。
「お待ちくだされ、西木戸太郎を射たのは我が矢であって、畠山殿ではございませぬ。証拠もございます」
義盛は自分が国衡を射止めた状況はもちろん、国衡の鎧から矢を射通した位置、馬の毛並みまで詳しく話しました。
確かめてみると、確かに義盛の証言どおり鎧は紅縅(くれないおどし)、射向袖の二三枚目(上から2~3段目)に鑿でえぐったような大穴が開いています。
「なるほど。偽りではなさそうだ……次郎、そなたは矢を放ったか」
頼朝が尋ねると、重忠はハッキリ「射ておりませぬ。ただ大串より首級を受け取り、これを献上したまで」と返答。
並の者であれば、手柄を奪られまいと「これはそれがしの射た矢である」などと言い張るであろうところを、重忠は「手柄が欲しくばくれてやろう」と実に潔い態度を見せます。
さすがは畠山殿……この件をもって、重忠はますます声望を高めたということです。
……大河ドラマでは重忠も国衡も義盛も登場しているので再現は可能でしょうが、果たしてやってくれるでしょうか。是非ともやって欲しいところですが、果たして……。
裏切られ、非業の最期を遂げた藤原泰衡の首級それからも鎌倉方は連戦連勝、ついに平泉を攻略してどんどん泰衡を追い詰めていきます。
泰衡の家臣らは次々と脱走や投降が相次ぎ、ついに文治5年(1189年)9月3日、家臣の河田次郎(演:小林博)に討たれてしまいました。