品川区の善福寺に残る鏝絵で有名な伊豆の長八の非・老害エピソード (3/8ページ)
更に病気や加齢などによって体力そのものまで弱ってくると、一番内側にあり、生命の中枢である「脳幹(のうかん)」の働きも悪くなる。そうなると、真ん中にあり、感情を司る「大脳辺縁系」が暴走してしまうというのだ。
キレてしまうのは、「脳みそ」の「経年劣化」の問題だから、もうどうしようもない。自分はもうダメだ…とあきらめてしまい、鬱的になって「引きこもり」や「自殺」の道を選んでしまったり、逆に「うるさい!黙れ!おれは悪くない!」などと開き直って、「幸せそう」だったり、人生を謳歌し「キラキラ輝いている」ように見える若者たちに向かって嫉妬心を覚え、人生経験そのものが少ないことからくる彼らの不手際、または「知らないこと」を見つけては、それに対して暴言を吐くような、まさに文字通りの「老害」になってしまっては元も子もない。どうすれば帯津医師が言う、「成熟した魂」の持ち主になれるのだろうか。
■伊豆の長八の非・老害エピソード
話は飛ぶが、今日ではかなり摩耗してしまっているものの、関東大震災と東京大空襲を乗り越え、東京都品川区北品川の善福寺(ぜんぷくじ)本堂の軒下に今も残る、漆喰(しっくい)壁の表面に、龍や唐獅子などのレリーフを施し、彩色する鏝絵(こてえ)で有名な伊豆の長八(1815~1889)の「非・老害」とも言えるエピソードがある。
あるとき、長八のところに、魚河岸のさる問屋から、『魚(うお)づくし』、つまり、多種多彩な魚をモチーフにした鏝絵の依頼が舞い込んだ。長八は丹精こめて作品を仕上げ、一服していたところ、深川生まれの吉(きち)という魚売りの小僧がやってきた。
「小魚はいらないか~」と呼びかけた吉に長八は、「いらねえいらねえ」と断った。しかし吉は目ざとく、長八の『魚づくし』を見つけた。そして、種々の魚を見回して、「他の魚はいいが、このタイが、これじゃ、なってねえ」と文句をつけてきた。吉の馴れ馴れしいふるまいに、子どものことだからと相手にしなかった長八だが、だんだんと腹が立ってきた。