品川区の善福寺に残る鏝絵で有名な伊豆の長八の非・老害エピソード (7/8ページ)
■年齢を重ねることで増す円熟味
小説家の五木寛之(1932~)は『死の教科書 −心が晴れる48のヒント−』(2020年)の中で、芸術家・岡本太郎(1911~1996)の母であり、小説家・歌人の岡本かの子(1889~1939)が晩年に発表した『老妓抄(ろうぎしょう)』(1938年)の最後に登場する歌、
「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」
を挙げ、上の句、「年々にわが悲しみは深くして」に心惹かれたと書いている。
それは、かの子自身は陽気な人だったが、そんな人でも年ごとに悲しみが深まっていったようだ。あの人でもそうだったのか、と感じずにはいられなかった。そして下の句「いよよ華やぐいのちなりけり」というのは、実際に自分の心が華やいで、命が輝いていた歓喜を詠んでいるというより、そうありたいという一種の願望だったのではないか、と解釈している。それは、五木の苛烈な、敗戦後の引き揚げ者として、貧困や病の不安の中で生きていた頃、そして売れっ子作家として生きていたものの50歳ぐらいのときにアシスタントをしていた弟が急逝したこと。そして「休筆宣言」や仏教を本格的に学ぶなどの人生経験から、「本当の悲しみというのは、月日とともに癒やされ、薄まっていくものではなく、むしろ時間が経つほど深まっていきます。人は、そうした悲しみを心と身体に抱えながら、生き続けることしかできないのです」と述べている。そうなると、個々人の人生において出会ってきた、出会わざるを得なかった「悲しみ」。しかもそれは消え失せることなく、時間が経てば経つほど、年を取れば取るほど、深まっていくのだ。
■老化は避けられないが老害は避けられる
今現在の医科学の「常識」において、個々人の脳の劣化には抗うことはできないが、周りや見ず知らずの人による「老害」を受け止める際、「自分はああなるまい」と反面教師として、彼らの粗暴な振る舞いを「流し」、そして、そのような「老害」的な老人であっても、岡本かの子が言う「年々にわが悲しみは深くして」通り、年々つのる、深い悲しみを抱えているのだと、「理解」「共感」するしかない。