「鎌倉殿の13人」梶原景時、暴走する源頼家の犠牲に…第28回放送「名刀の主」振り返り (4/10ページ)
頼家を頼朝のそば近くで育てていたら、また違う未来があったかも知れない(イメージ)
また自分で選抜した側近6名についても比企能員の息子2名(比企宗朝・比企時員)が混じっていたり、最年長である北条時連を外見だけで最年少と勘違いしたりなど、十分に理解していない様子。
良くも悪くも頼朝は御家人たちをしっかりと理解し、彼らの心をつかんでいました(少なくとも『吾妻鏡』では)。だから誉める時はこれ以上なく誉めるし、罵倒する時はそれこそネチネチと責めたのです(それだけ、一人ひとりをよく見ていた証拠でもあります)。
それを「演技に過ぎない」という方もいるでしょう。しかし頼朝はそれを生涯にわたって貫きました。ずっとやり遂げたのであれば、たとえ本心でなくとも御家人にとってはその姿こそ「我らが鎌倉殿」なのです。