「鎌倉殿の13人」梶原景時、暴走する源頼家の犠牲に…第28回放送「名刀の主」振り返り (9/10ページ)
その土地でずっと米を作らせてきたのは、太郎ではなく次郎のはずだ」
そもそも大谷兄弟の父親が亡くなったのは、20年以上も昔のこと……調べたところ、父親が亡くなってからの20年間、土地を耕して管理していたのは次郎とのこと。
だったらどう考えても土地は次郎のものと思えますが、なぜ太郎は今ごろ訴え出たのか……義時の察するところ「鎌倉殿の代替わりしたどさくさ紛れでワンチャン次郎の土地を奪えると狙ったのであろう(意訳)」と。
頼家政権は、実にナメられていたようです。しかし問題はそこではありません。
景時「誼を重んじ便宜を図るのは政の妨げになるので、以後やめていただきたい!」
公平公正・頑固一徹な景時が宿老たちを一喝して評議は終了。コネやしがらみの多い鎌倉幕政に先が思いやられるのでした。
……ところで、この大谷兄弟は実在するのでしょうか。調べてみてもこれと言った人物が見つからないので大河ドラマの創作である可能性が高いです。
それでは大谷の苗字もテキトーなのでしょうか。そう(例えばスタッフの苗字など)かも知れませんが、あくまで仮説ながら大谷という土地を治めていた武士がいたとしたら、どの辺りにいたのか考察してみます。
現在の茨城県で大谷という地名(大字)が残っているのは、稲敷郡美浦村。霞ケ浦の南西に面し、千葉県ともほど近い場所に位置する自治体です。いいところですね。