「鎌倉殿の13人」鎌倉を火の海に。ついに勃発、和田合戦!第41回放送「義盛、お前に罪はない」予習 (12/15ページ)
「これまで四郎に所領を遺そうと奉公してきたが、その四郎が死んでしまったら、もう戦う意味などない」
もう自暴自棄で東へ西へ駆けずり回っているところを、江戸能範(えど よしのり)らに討ち取られたのでした。享年67歳。
同時に和田義重(34歳)・和田義信(28歳)・和田秀盛(15歳)ら一族7名も討たれましたが、朝比奈義秀は数名で浜辺から舟を出して安房国(現:千葉県南部)へ逃れます。
『吾妻鏡』では兵500騎・船6艘とあるものの、それだけ大きな船(平均して80名程度乗船可能)を浜辺からすぐに出すのは困難です。また、義秀ならそれだけ残っているなら抗戦を続けたでしょう。
文中に「朝比奈義秀ならびに数卒ら」とあるので、残党の数は恐らく50名程度がいいところと思われます。
また和田常盛や山内先次郎(やまのうち せんじろう)、岡崎実忠・横山時兼・古郡保忠・和田朝盛ら6名についてはそれぞれ逃げ出したということです。
5月3日・その三「泰時、禁酒(ただし少しなら可)を誓う」こうして幕を下ろした和田合戦。