「鎌倉殿の13人」ついに鎌倉殿の鎌倉離れ?愛想を尽かした義時は…第44回放送「審判の日」振り返り (6/9ページ)
南門から出発する際には八幡様のお使いである鳩がやたらとさえずり、牛車から降りれば太刀を引っかけて折るなど縁起の悪いこと尽くし。まさに死亡フラグの大売り出し状態でした。
直衣始の遅れさて、乳父として公暁を焚きつけた三浦義村(演:山本耕史)。北条を排して三浦がのし上がる最後のチャンスと言っておきながら、いざ計画を感づかれるとただちに兵を留める機転は流石です。
ちなみに泰時が三浦勢の参列を止めさせる理由に挙げた直衣始(のうしはじめ)とは、前回放送の最後に実朝が石段を上っていた場面。建保6年(1218年)7月8日のことでした。
いざ出発しようと思ったところ、義村が三浦一族の長老である長江明義(ながえ あきよし)と序列についてもめていました。
と言っても喧嘩ではなく、義村が「自分は官職を持っているが、官職を持っていなくても年長者である長江殿の方が上位であるべきではないか」と言い出したのです。
しかしこういう場面は長幼の序よりも官職や位階の方が大事……互いに譲り合っていたら出発が遅れてしまいます。
だから義村は「身内のちょっとしたことだ」と言ったのですが、泰時は譲らず、感づかれたことに気づいた義村は実朝暗殺計画より手を引きました。
確かに『吾妻鏡』を見ても義村の名前はなく(ただし長男の三浦朝村は随兵として泰時と共に参列)、こうしたやりとりがあったのではないかと思わせますね。