「WBC選出」岩手・大谷翔平や佐々木朗希、千葉・長嶋茂雄、大阪KKコンビ…ご当地プロ野球スター「オラが街の名選手」No.1決定戦 (2/6ページ)
いずれの都府県も全国的に名の通った甲子園の常連校が林立する激戦区ですから、当然スター選手の総数も、他とケタが違ってきますよね」(スポーツジャーナリスト)
そんな数ある激戦区でも、他を圧倒する“野球熱”の高さで知られるのが、神奈川だ。
1980年夏に横浜高で全国制覇も成し遂げた、神奈川出身の元ロッテ・愛甲猛氏が、その内実をこう解説する。
■原貢・辰徳親子の影響は大きい
「転機は70年、71年と県勢で続いた東海大相模と桐蔭学園の夏制覇。とりわけ原貢・辰徳親子の影響は相当大きかったよね。俺らの頃はとにかく“打倒相模”だったし、ウチの渡辺元智監督はもちろん、桐蔭の木本芳雄さんや“Y高”横浜商の古屋文雄さんも、みんな貢さんに対抗心を燃やしていた。それが神奈川の野球レベルの底上げにつながったのは間違いないだろうね」
実際、当時は愛甲氏の横浜高も含めた各校に“東海大相模に入れなかった”部員たちが何人もいたほど。4月の入学時に1年生だけで120〜130人が入部するのもザラだったという。
「どんどん辞めていくから最終的には毎年30人ぐらいに収まるんだけど、それだけ数がいたら強くもなるよね。しかも、相模からあぶれたやつは、桐光学園や慶応高あたりにもいたから、当の相模も足元をすくわれることがよくあった。たぶんPL学園や近大付、北陽、上宮あたりがしのぎを削った80〜90年代の大阪も似たような感じだったんじゃないかな」(前同)
ちなみに、そんな激戦区で切磋琢磨した選手たちの間には、プロ入り後も、世代を超えた“同郷”意識があったという。
「俺も原さんには当然あいさつに行ったし、中日に移籍したときには、山本昌が“日大藤沢でした”って、すぐに来てくれた。