「どうする家康」よく言った!本多正信が代弁する民の声。第9回「守るべきもの」振り返り (3/7ページ)

Japaaan

家臣を信じ、幾多の困難を乗り越えた家康。月岡芳年筆

なお清康の殺害については、阿倍弥七の父・阿倍大蔵定吉が織田と内通したとのデマが飛び交っており、いつ父が粛清されるかと弥七がナーバスになっていた故の犯行でした。

やはり家臣に対する信頼が(少なくとも、阿倍父子が不安になるほどには)薄かったことが原因と言えるでしょう。

劇中では清康と広忠の暗殺について「あれは避けようがなかった」と忠吉が言っていました。

しかし(歴史にifなどないことは承知で)もし考えられるとすれば、デマを察知した時点で本人を呼び寄せ「これは織田の罠だ。阿倍ほどの忠臣が内通などあり得ない」などとみんなの前で信じる態度を見せることで、また違った結果を迎えたかも知れません。

本證寺を去った空誓。その後、永き雌伏を経て家康と親密に

一向門徒を率いて奮戦するも、傷つき倒れゆく民の姿に心を痛め、家康との和睦を決断する空誓上人(演:市川右團次)。けなげな童を抱きしめて悲しみの声を上げるその姿は、一向門徒ならずとも胸揺さぶられたことでしょう。

ただあえて野暮を言うなら「それで和睦を決断する程度の覚悟で戦さなど始めるな」に尽きます。

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