「どうする家康」名門今川家、ついに滅亡!最後に残されたのは…第12回放送「氏真」振り返り (2/8ページ)

Japaaan

【史実篇】懸川城が陥落、家康の寛大な処置

ついに今川と立場が逆転、氏真に温情をかけてやる家康(イメージ)

今回、劇中で描かれた辺りの場面を、江戸幕府の公式記録『徳川実紀』ではこのようにつづっています。

……遠州の国士等多半御味方にまいりければ。懸川の場外に向城をとりたてゝ氏真をせめ給ふ。十二年にいたり懸川城しばゝゞせめられ力盡しかば。和睦して城をひらきさらんとするに及び。   君はかの使に対し。我幼より今川義元に後見せられし舊好いかで忘るべき。それゆへに氏真をたすけて義元の■を報ぜしめんと。意見を加ふること度々におよぶといへども。氏真佞臣の讒を信じ我詞を用ひざるのみにあらず。かへりて我をあだとし我を攻伐んとせらるゝ故。止事を得ず近年鋒盾に及ぶといへども。更に本意にあらず。すでに和睦してその城を■らるゝに於ては。幸小田原の北條は氏真淑姪のとなり。我また北條と共にはかりて氏真を駿州へ■住せしめんとて。松平紀伊守家忠をして氏真を北條が許へ送らしめられける。北條今川両家のもの共もこれを見て。げに   徳川殿は情ある大将かなと感じたり。……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年「家康與信玄約分領駿遠」

【意訳】遠江にいる今川家臣たちの大半が味方に寝返ったので、氏真の立て籠もる懸川城(掛川城)を攻め立てました。

激しい攻防戦が永禄12年(1569年)まで続き、ついに氏真は降伏します。

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