「どうする家康」まさかの主人公ロス!?金陀美具足と兜首……第17回放送「三方ヶ原合戦」振り返り (10/11ページ)
果たして駿河を手に入れたはいいものの、交易をしようにも制海権はすでに信長が掌握。手詰まり感は否めませんでした。
劇中そして通説では「自分の死期を悟って上洛を決意した」と言われますが、実は経済的に追い詰められていたことが挙兵の動機だったのではないでしょうか。
当時、京都では足利義昭(演:古田新太)が信玄を含む諸大名に信長討伐を命じており(いわゆる信長包囲網)、信玄はそれに乗じて織田・徳川の討伐に乗り出したものと考えられます。
ちなみに武田の軍勢は三万騎と言われますが、これは武田領で動員できるほぼ最大兵力(※)。もしこれが本当であれば、信玄はほとんど所領をカラにしていたことになります。
(※)甲斐+信濃+駿河+αで約120万石。目安として40万石で兵1万を動員できる計算。
「時は待ってくれんぞ……」
あえて悠然と構えることで家康の焦りを誘った信玄ですが、実は信玄の方が追い詰められており、家康はそのチキンレースに負けてしまったわけです。
次週・第18回放送「真・三方ヶ原合戦」
……勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝……
※『孫子』形篇
【意訳】勝つ者は勝ってから戦い、負ける者は戦ってから勝とうとする。
永年の歴戦から得た兵法のすべてを勝頼にさずけるため、その手腕をいかんなく発揮した信玄。
討死した徳川勢の中には、金陀美具足をまとった者もありました。