「どうする家康」まさかの主人公ロス!?金陀美具足と兜首……第17回放送「三方ヶ原合戦」振り返り (9/11ページ)
追い詰められていたのは、むしろ信玄の方だった?
もっと鉄砲が自由に撃てればなぁ……歌川芳員「本朝名将鏡 武田大膳太夫信玄」
まぁ地の利(苦笑)はさておき、もう一つ家康が出撃を決断したのは、武田軍の装備があまりに貧弱だった可能性もありそうです。
先ほどの二俣城を攻略するのに一ヶ月ほども要し、また水の手を断つという実に回りくどい戦法をとっている武田軍。これは鉄砲が(厳密には撃つための弾薬が)欠乏していたことに由来します。
この時代の攻城戦は、土塁や石垣をよじ登る兵を後方から援護射撃するのがセオリーとなりつつありました。
援護射撃は弓でもいいのですが、やはり飛距離や威力から言って鉄砲にはかなわず(城兵が鉄砲を持っていれば尚更)、武田軍を含め各大名家では火縄銃の調達に必死でした。
しかし信長によって陸海の交易ルートを押さえられてしまうと、弾薬が圧倒的に不足します。火縄銃じたいは製造できても、弾薬がなければ無意味です。
特に武田家の支配していた甲信地方は領地がやせており、豊かな海を求めて戦う軍資金を調達するため、領民に異例の重税を課していました。
甲州法度之次第に「逃げ出した領民はどこまでも追い駆けて税を取り立てろ(要約)」とある通り、よほど追い詰められていたことが分かります。