「どうする家康」壊れてしまった信康。母はついに決意する。第23回放送「瀬名、覚醒」振り返り (6/9ページ)
※『寛政重脩諸家譜』三百六十九 清和源氏(支流)西郷
西郷清員(さいごう きよかず)の養女であった彼女は天正6年(1578年)3月に家康の側室となり、西郷局(さいごうのつぼね)あるいは愛子(あいこ)と呼ばれるようになりました。
大河ドラマでは元から愛という名でしたが、順番が逆のようです。
気立てがやさしく、皆から愛されたという西郷局(画像:Wikipedia)
そして翌天正7年(1579年)4月7日に秀忠、天正8年(1580年)には忠吉と相次いで産んだのでした。
……七年の卯月七日に浜松の城にしては三郎君生れたまふ。是ぞ後に天下の御ゆづりをうけつがせ給ひし 台徳院太政大臣の御事なり。御母君は西郷の局と申。さしつづき翌年この腹にまた四郎君生れ給ふ。是薩摩中将忠吉卿とぞ申き。……
※『東照宮御実紀』巻三 天正六年-同七年「天正七年秀忠生」
文中の「三郎君(〜ぎみ)」は信康(岡崎三郎)ではなく、三男を意味します。
於愛が産んだ男児を家康が可愛がったのは言うまでもなく、入れ替わるように瀬名と信康は粛清されるのでした。
天正6年(1578年)
3月 於愛が家康の側室となる
天正7年(1579年)
4月7日 於愛が秀忠を生む
8月29日 瀬名が処刑される
9月15日 信康が切腹させられる
ちなみに彼女は実際に近眼だったそうですが、今後はめんどくさいのでその設定は恐らく忘れ去られるでしょう。