「どうする家康」なぜ戦うのか?瀬名が夢見る「慈愛の国」壮大なる築山の謀とは…第24回放送「築山へ集え!」振り返り (2/9ページ)

Japaaan

やっぱり武士は戦ってナンボ、俺は亡き父・武田信玄(演:阿部寛)を超えたいんだ……というごく健全な戦国的野心によって、瀬名の「夢」はあっさり崩壊してしまいました。そりゃそうですよね。

さて。どこからツッコm、もとい解説を入れたものか……こういう「ほぼ丸ごとフィクション」な回はリアクションに困るのですが、今週も振り返っていきましょう!

「越後の龍」上杉謙信、死す!後継者争いに、どうする勝頼?

劇中では微塵も触れられていませんでしたが、天正6年(1578年)3月13日に「越後の龍」と恐れられた上杉謙信(うえすぎ けんしん)が病没しました。

謙信には子供がおらず、後継者の座を巡って養子の上杉景勝(かげかつ)と上杉景虎(かげとら)の争いが勃発。世にいう「御館(おたて)の乱」です。

上杉景勝は謙信の甥に当たり、上杉景虎は坂東の雄・北条氏政(ほうじょう うじまさ)の弟。

武田家としては、北条との同盟関係を重視して景虎に味方するのが順当と言えます。

しかしここで景虎が上杉家を継いでしまうと、武田領の東側を北条&上杉に抑えられてしまう形に。

もし上杉が親・北条になったら、北と東を抑えられ「楯」にされてしまう(イメージ)

それでは武田家が北条にとって「将来的な対・織田の楯」にされかねません。

ならばむしろ景勝に味方して武田&上杉で北条を北と西から抑えたい。そう勝頼は思いました。

するとそんな勝頼の野望を見透かしたように、景勝が悪魔の声でささやきます。

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