「どうする家康」なぜ戦うのか?瀬名が夢見る「慈愛の国」壮大なる築山の謀とは…第24回放送「築山へ集え!」振り返り (6/9ページ)
姉の登久姫は天正4年(1576年)生まれ。4歳で父が自刃すると母に捨てられ(一人で織田の実家へ帰ってしまい)、家康と西郡局(演:北香那。お葉)に育てられました。
やがて天正17年(1589年)に14歳で家臣の小笠原秀政(おがさわら ひでまさ)に嫁ぎました。
可愛い孫娘のお陰で秀政は順調に出世を果たし、関ヶ原の合戦で武功を立てて信州飯田五万石の大名となります。
そして慶長12年(1607年)に32歳で世を去りましたが、秀政との間にさずかった6人の息子たちはみんな活躍したそうです。
妹の国姫は天正5年(1577年)に誕生しました。幼少期は姉と一緒に育ち、天正18年(1590年)に本多忠政(ほんだ ただまさ。本多忠勝嫡男)の元へ嫁ぎました。
本多も小笠原も、家康にとって信頼出来る忠義の家臣。可愛い孫娘を安心して預けられたことでしょう。
国姫は忠政との間に二女三男をさずかり、こちらの子たちもそれぞれ活躍します。
娘の亀姫(かめひめ。當真あみ演じる大叔母とは別人)が小笠原家に嫁ぐなど、姉妹同士も交流があったようです。
そして寛永3年(1626年)に50歳で世を去ったのでした。
大河ドラマではそこまでやらないでしょうが、彼女たちの幸せな人生を心から願っています。
ちなみに密告で信康を死に追いやり、さっさと織田家へ帰ってしまった五徳について、家康が疎略に扱ったのは言うまでもありません。