「どうする家康」関ヶ原は、まだ終わっておらぬ…第44回放送「徳川幕府誕生」振り返り (3/8ページ)
本多忠勝・榊原康政の最期
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鬼神のごとき本多忠勝。実際は、どんな顔をしていたのだろう(画像:Wikipedia)
「老いなど認めぬ!」
西国へ睨みを利かせるべく、鬼神のごとき肖像画を描かせる本多忠勝(山田裕貴)。自慢の名槍・蜻蛉切で指を切ってしまったことで、生涯無傷の伝説が破られてしまいました。
一方、そんな忠勝をたしなめる榊原康政(杉野遥亮)。彼もまた病魔に蝕まれ、別れの挨拶回りに忙しそうです。
「もう、見えておらんのであろう」
忠勝は慶長12年(1607年)ごろに眼病を患い、慶長14年(1609年)には隠居。家督を嫡男の本多忠政に譲りました。そして慶長15年(1610年)10月18日、63歳で世を去ります。
この時、本多家重臣の梶勝忠と中根忠実が後を追って殉死。平生よほど慕われていたのでしょう。
『名将言行録』では大谷三平とその家僕が殉死しており、遺した辞世が伝わっています。
死にともな、あゝ死にともな、去りとては、君の情の、今は恨めし。
【意訳】死にたくない。あぁ死にたくない。しかし主君(忠勝)から受けた恩義を思えば、後を追わずにいられない。それが今となっては、とても恨めしくてならない。
実に複雑な感情が詠まれていますが、これは本多忠勝自身の辞世としても伝わりました。