「どうする家康」関ヶ原は、まだ終わっておらぬ…第44回放送「徳川幕府誕生」振り返り (4/8ページ)

Japaaan

死にともな  嗚呼死にともな  死にともな深き御恩の  君を思えば

【意訳】死にたくない。あぁ、死にたくない、嫌だ、死にたくない!我が君(家康)から受けた深い御恩に、まだまだ報いねばならんのに!

……鬼神のごとき忠勝からは想像もつかない家康への忠義は、愛情にも近いものでした。

なお、榊原康政は忠勝よりも早く慶長11年(1606年)5月14日、59歳で病死しています。

秀忠はその死を深く悼み、関ヶ原の遅参をかばってくれた恩義を忘れることなく墓参したのでした。

本多正純と朱子学について

林羅山。劇中で朱子学の精神にふれる機会などはあるのだろうか(画像:Wikipedia)

さて、老将たちが世を去っていく中、新たな世を切り開く優秀な人材が続々と集まってきました。

そんな一人が本多正純(井上祐貴)。かのイカサマ師?本多正信の嫡男です。

「あのイカサマ師の子とは思えぬほど真面目な……」

家康からそう評されますが、正信のイカサマ師設定は、生涯有効なんでしょうか。

確かに過去色々あったとは言え、もう何年前のことですか?半世紀近くも昔のことをいつまでもネチネチと……。

話を戻して、この本多正純は永禄8年(1565年)生まれ。第44回放送終了の慶長16年(1611年)時点で、すでに47歳。

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