「どうする家康」関ヶ原は、まだ終わっておらぬ…第44回放送「徳川幕府誕生」振り返り (5/8ページ)

Japaaan

そんなに若くもないどころか既に初老ですが、まぁおいときましょう。

『名将言行録』から、その生涯をざっくり抜き出すとこんな感じです。

佐渡守正信の子、弥八郎と称す、後上野介に任じ、宇都宮十八萬石に増封せらる。後罪を得て由利に謫せらる。寛永十四年三月十日卒、年七十三。……

※『名将言行録』巻之五十六 ○本多正純

家康のブレーンとして篤い信頼を得て、父と共に活躍しますが、家康の死後に失脚。出羽国へ流罪とされ、現地で寂しく世を去ったのでした。享年73歳。

ちなみにこの正純、関ヶ原における秀忠の遅参を父・正信の責任とし、切腹させるよう家康に進言したとか。

それを知って、老臣の一人である安藤直次は「父親に腹を切らせようとした報いを、必ず受けるであろう」と予言。非業の末路は、天罰だったのかも知れませんね。

ちなみに江戸時代の朱子学は、藤原惺窩(ふじわらの せいか)が嚆矢(こうし。パイオニア)となって普及させました。

林羅山(笑い飯・哲夫)はじめ、多くの者たちが弟子となっており、泰平の世を維持する上で重要な教えとして広まります。

偉大なる凡庸?徳川秀忠が第二代将軍に 徳川家康の跡継ぎは次男?三男?それとも四男?戦なき世に相応しい後継者の資質【どうする家康】

偉大なる凡庸であるがゆえに、二代目将軍に指名された徳川秀忠(森崎ウィン)……そんなんでいいんですか?いいんですよね。承知しました。

確かに、愚鈍でも暴君でも治まるような体制というのは政権における円熟であり理想とも言えます。

しかしこの時期、豊臣政権はいまだ健在。

「「どうする家康」関ヶ原は、まだ終わっておらぬ…第44回放送「徳川幕府誕生」振り返り」のページです。デイリーニュースオンラインは、藤原惺窩梶勝忠朱子学大谷三平中根忠実カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る