「どうする家康」関ヶ原は、まだ終わっておらぬ…第44回放送「徳川幕府誕生」振り返り (6/8ページ)

Japaaan

石見・生野銀山をおさえて(徳川の直轄領にして)軍資金を確保したり、堺奉行や長崎奉行に譜代の家臣を配置したりなど、対豊臣政権において油断のならない時期でした。

全体的に戦国時代らしい緊張感が欠けているように思えてなりません。まるで「もう徳川が豊臣を滅ぼす結果(歴史)を知っているから、登場人物の行動や動機は後付けで構わない」とでも言いたいようです。

また、いつまでもネチネチと秀忠をいびり続ける家康の動機が「叱ってくれる者が周りにいないから」というのも、いささか腑に落ちません。

さっきの本多正純もそうですが、次の世代がもう中年どころか初老に差しかかっているくらいに年月が経っているのです。

演者を確保する都合もあるのでしょうが、主要メンバーの嫡男くらいは用意しておいた方が、乗り越えてきた歳月の長さを感じられたのではないでしょうか。

あと、征夷大将軍を秀忠が受け継いだことで茶々(北川景子)がお怒りのようです。あれ、公家と武家の住み分けとか言っていたのはダメだったのでしょうか。

そういう設定なら設定で、ちゃんと根回しを(少なくともその努力を)している描写がないと、単なる思いつきに見えてしまいます(言うまでもなく、豊臣家は自分たちこそが武家の頂点と思っていたはずです)。

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