「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【前編】 (2/7ページ)
現在、発掘調査により確実視されている宮都としては、33代推古大王の豊浦宮(とよらのみや)・小墾田宮(おはりだのみや)、34代舒明大王の飛鳥岡本宮、35代皇極大王の飛鳥板葺宮(あすかいたぶきのみや)、37代斉明大王の後飛鳥岡本宮(のちのあすかおかもとのみや)、40代天武天皇の飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)などがあります。
この他、明日香の地には、大王(天皇)の諸皇子たちの宮殿である皇子宮もその周囲に数多く営まれました。
舒明・皇極・斉明・天武など複数の宮が継続的に置かれていた「飛鳥宮跡」(写真:高野晃彰)
ちなみに本記事では、天武以前の天皇を「大王」と記すことにします。「天皇」という称号がいつ頃から使われ始めたのかについては、さまざまな説があります。
筆者は、日本の天皇制を確立したのは天武であるとの見解をとるので、本記事の中心人物である斉明についても「大王」の称号を用います。
また、国号については、日本は天武以前は「倭国」と称されていましたので本記事では「倭国」で統一しますが、文章の内容によっては「日本」も用いますのでご承知ください。