「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【前編】 (4/7ページ)

Japaaan

花崗岩の巨石・益田岩船(写真:wikipedia)

益田岩船は、その巨大さゆえに江戸時代から観光名所として知られ、1791年(寛政3年)に刊行された『大和名所図会』にも掲載されています。かつて益田岩船の近く、橿原市久米に朝廷により築かれた益田池という池がありました。同書では、この池の築造を讃える石碑の台座部分であるという説に基づき、「益田池碑趾」と記されています。

益田岩船は、東西約11m、南北約8m、高さ約5m、推定重量約160tから600tとされる巨大な岩石です。近くで見ると、その圧倒的な存在感に息を呑みます。

そんな益田岩船の正体については、さまざまな推測がなされてきました。

『大和名所図会』に記載されているように、弘仁13年(822年)に築造された益田池を讃えるため、弘法大師の書による石碑を載せる台として作られたが、後の高取城築城の際に破砕されたという説。

二つの穴に石柱を立て、その上に横柱を渡して天体観測を行ったとする、占星術用の観測台説。

松本清張が提唱した、ゾロアスター教徒の拝火台とする説。

穴の中に遺骨を納め、石の蓋をしたとする火葬墳墓説。

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