「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【前編】 (6/7ページ)

Japaaan

645年の乙巳の変(大化の改新)により、同母弟の孝徳に大王位を譲位しますが、孝徳が654年に崩御すると、翌655年正月に飛鳥板蓋宮で重祚し、63歳で斉明として再び政権を担います。

斉明は即位した年の10月、小墾田に新たな宮殿の造営を開始します。この宮殿は、前帝孝徳が難波に造営した難波長柄豊碕宮と同様に、朝堂院を備えた中国風の宮都を意識したものでした。

さらに、斉明はそれよりも大規模な計画を立て、中国の都城を模して屋根を瓦葺きにすることを目指したとされます。

孝徳朝・第一次難波宮模型(写真:wikipedia)

この計画の背景には、弟の孝徳と息子の中大兄との政治的な対立がありました。斉明は、息子の中大兄の側に立ち、弟の孝徳を見捨てる形で寵臣たちを率いて飛鳥に引き上げます。そのため、前帝の宮都より立派なものを創ることで、分裂してしまった大王家の威信を取り戻す必要があったのです。

しかし、この新宮計画は有力氏族の協力が得られず、頓挫してしまいます。そこで2年後、斉明は後飛鳥岡本宮を造営しこれを宮都と定めました。

それでも斉明天皇は都造りの志を捨てず、急ピッチで工事を進め、大規模な飛鳥京を完成させました。この飛鳥京は、後の持統天皇による藤原京への宮都移転まで、政治の中心として機能することになるのです。

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