【大河べらぼう】御三卿・清水家の栄光と断絶!徳川家治の弟・清水重好(落合モトキ)とは何者?その生涯を辿る (4/4ページ)

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そして寛政7年(1795年)7月8日に51歳で世を去ります。

墓所は東叡山凌雲院に葬られ、法名は俊徳院体空遊心大居士(しゅんとくいんたいくうゆうしんだいこじ)と号されました。

エピローグ

清水重好には子供がいなかったことから、清水家は断絶。その所領は召し上げられました。

正室の貞子(出家して貞章院)には幕府から年金三千両と米五百俵が支給されます。

この措置に対して、一橋治済は「亡き8代将軍•徳川吉宗の意向に背く」として老中の松平信明らへ強く抗議しました。

本音は自身の七男•亀之助(のち松平義居)を清水家当主に立てたかったようですが、寛政10年(1798年)、徳川家斉は自身の五男である敦之助(あつのすけ)に清水家を継がせます。

※ただし敦之助も間もなく世を去り、清水家は再び当主不在が続くのでした。

終わりに

今回は御三卿の一つである清水家当主•清水重好について、その生涯をたどってきました。

果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」での再登場はあるのでしょうか。

今後も活躍に期待しています!

※参考文献:竹内誠 編『徳川幕府事典』東京堂出版、2003年7月

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