「べらぼう」蔦重、ついに覚醒!知の巨星・太田南畝(桐谷健太)に出会い”狂歌”ブームに飛び込む【後編】 (3/9ページ)

Japaaan

大田南畝像(鳥文斎栄之筆、東京国立博物館蔵)

19歳の頃に、書き溜めていた狂歌が同門の平秩東作(へづつ とうさく)に見出され、明和4年(1767年)に狂詩集『寝惚先生文集』を、須原屋市兵衛(里見浩太朗)が版元となり刊行。これが大評判となり、たちまち江戸文芸の花形になったそうです。

寐惚先生文集初編(太田南畝)『寐惚先生文集初編』(国文学研究資料館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200005605

この『寝惚先生文集』には、あの平賀源内(安田顕)が序文を寄せていました。南畝はすでに有名人だった源内への憧れもあり、滑稽を主にする狂歌を作っていたそうです。

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