「べらぼう」蔦重、ついに覚醒!知の巨星・太田南畝(桐谷健太)に出会い”狂歌”ブームに飛び込む【後編】 (4/9ページ)
明和6年(1769)、南畝が21歳の頃、狂歌師としての活動を本格化。四方赤良の号を名乗り「四方連」(よもれん:のちの山手連・四方側)と呼ばれる狂歌会を結成します。
こうして南畝を中心に、武士や町人たちの身分を越えた交流が生まれ、数多くの絵画や文芸が花開くことになったのです。
貧乏を笑い飛ばしてしまうような明るさと闊達さ太田南畝は、いわば江戸庶民文化を語る上では外すことのできない重要人物です。
史実では、蔦重が南畝と本格的に知り合ったのは、天明元(1781)年ごろ。
ドラマ同様に、南畝が、黄表紙評判記『菊壽草』にて、蔦重が出版した朋誠堂喜三二(尾美としのり)作の『見徳一炊夢』を「極上上吉」に選んでくれたお礼に、蔦重が南畝の自宅を訪れたことから始まりました。
この後、南畝は他の狂歌師や戯作者とともに、蔦重から何度も吉原での宴に招待されるようになり、ふたりの関係はどんどん深くなっていったそうです。