『べらぼう』歌麿が画名を「千代女」にした本当の理由…蔦重を巡る“三人の女”に隠された真意【後編】 (5/8ページ)
仮に蔦重の妻が、容姿に恵まれていても本も読まないような女性や、商売も顧みない性格の悪い女性だったなら、歌麿も苦悩しなかったと思います。
ていは、勉強熱心で本と本屋を心から愛し、挫折や苦労も乗り越え、真摯に仕事に立ち向かう女性。歌麿も「蔦重の片腕になる人だ」と認めていたのでしょう。
ていが歌麿に「さすがは絵師さんですね」と褒める場面もありました。笑顔こそないものの、生真面目過ぎる直球ストレートな褒め言葉。歌麿は、「こんなの当たり前」などと言ってましたが、嬉しかったしていにも好感を持ったのだと思います。
ビジネス婚だった二人がようやく男女として結ばれた事実は、義理の弟としてはうれしいこと。けれども…
自分は、蔦重の隣に生涯座って支え続けられる“妻”という「唯一無二」のポジションにはなれない寂しさ、そして、“無償の愛を捧げられる生みの親”を奪われた悲しさがあったのではないでしょうか。
「蔦重よかった」と言いつつ、涙を流し布団をかぶって寝る歌麿。泣き疲れて眠るまで涙が止まらなかったのではないかと思うと切ないですね。
自分の名前を「歌麿門人 千代女」と書いた本当のわけ蔦重が不景気をぶっ飛ばせ対策で出した『歳旦狂歌集』。狂歌人気が絶頂の中、挿絵の入った黄表紙の形態をとる狂歌集というユニークなものでした。
計5部が出版され、絵は2部を北尾政美(高島豪志)、1部を歌麿、『年始御礼帳』と『金平子供遊』の2部を「歌麿門人 千代女」が担当。史実では、どうしてその名前にしたのかは不明だそうです。
ドラマの中では、絵に彩色をほどこする歌丸に、「署名が『歌麿門人 千代女』となっているのをなぜ?」と蔦重が尋ね、歌麿は「いかにも売れてる感じでめでたくね?俺に弟子がいるってよ」と答えます。