『べらぼう』幻の英雄・佐野政言が歪めた真実。ついに意次・誰袖・蔦重の「敵討ち」が始まる【前編】 (5/9ページ)
冷静に考えれば、この煽りをした人物は誰?何が目的?と疑問を持ちそうなものなのに、我を忘れ一斉に石を投げ始める群集心理の怖さ。物乞い二人も「仕込み」だったのではないでしょうか。
米不足、生活苦、江戸市中にどんどん増える流民(難民)、巷で流行る「田沼おろし」の狂歌、日々重荷を抱え込んだ人々の心の中に、“憂さ晴らしをしたい気持ち”は作られていました。
そこに突然、「あいつらのせいで生活が苦しいんだ!とヘイトを向ける矛先」を示されると、理性や良心が壊れ、根拠もないのに「こいつが悪だ!」とばかりそこに傾れ込んでいく。そして、「外道」「鬼畜」と石を投げ、その興奮はどんどん伝播していく。その行為では何も解決にもならないのに。
「いつの世も同じだな」と思わせられる場面で、相変わらずまるで現代の世相に合わせているかのような森下脚本の凄さを感じました。
葬列を見送っていた誰袖は、思わず飛び出して意知の棺を庇い「やめて!お願い…お願いします…」と土下座をします。そんな誰袖の額にも人々が投げた石が当たります。
「どっちが外道なんだよ!」とやり返す誰袖。
なぜ意知が、突然斬られて葬儀で石まで投げられ「外道」呼ばわりされなくてはならないのか。「仇を…仇を討っておくんなんし!」という誰袖の言葉が刺さる場面でした。