卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳を検証――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳【後編】 (5/10ページ)
この安定期に巨大な前方後円墳を築くことが可能だったとして、「箸墓」を台与の墳墓とみなし、「東田大塚古墳」を卑弥呼の墓と位置づけました。
また「崇神天皇説」も存在します。これは卑弥呼あるいは台与を補佐した弟王、あるいはヤマト政権の初代大王こそが「箸墓」に葬られたとするものです。最古の大前方後円墳である「箸墓」はヤマト政権の象徴であり、初代天皇とされる「はつくにしらすすめらみこと(崇神天皇)」こそ墓の主にふさわしいとする説です。
台与は「箸墓」、崇神は「西殿塚」が真陵か?最後に、「箸墓古墳」の被葬者像を中心に、私見を述べてこの記事のまとめとしたいと思います。
まず『日本書紀』に記された「箸墓伝説」を素直に受け取るならば、同古墳の被葬者は女性であり、さらにシャーマニズム的な宗教的権威を有していた人物であったとみて差し支えないでしょう。
しかし、「箸墓」の築造年代を最大限に遡っても西暦260年頃とされることから、卑弥呼の没年(248年頃)とは年代的にやはり一致しないと考えられます。