卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳を検証――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳【後編】 (3/10ページ)

Japaaan

箸墓古墳の拝所(Wikipedia)

『日本書紀』に「箸墓伝説」が記された意義は非常に大きいといえます。前方後円墳を築造した王権がヤマト政権であるならば、その起源譚をヤマト政権初期の天皇の条に記録しておく必要があったと考えられるからです。

すなわち、「箸墓」の伝承が第10代崇神天皇の条に記載されていることには、明確な意図があったとみられるのです。

天武天皇の時代に『日本書紀』の編纂が始まった時点で、「箸墓」はすでに皇統の起源を象徴する、ヤマト政権にとってシンボル的な存在として認識されていたことは疑いないでしょう。

箸墓古墳が卑弥呼の墓とするさまざまな説

まず「卑弥呼説」を唱える白石太一郎氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)は、「箸墓古墳」の築造年代を西暦250年代後半から260年頃にまで遡れると考えています。白石氏は、同古墳が日本最古の定型化した前方後円墳であること、また卑弥呼と同じくシャーマン的性格を持つ倭迹迹日百襲姫命の墓と伝承されていることなどを根拠とします。

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