卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳を検証――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳【後編】 (9/10ページ)

Japaaan

しかし、初期ヤマト政権における大王墓の系譜をたどると、「箸墓古墳」→「西殿塚古墳」→「崇神天皇陵(行燈山古墳)」→「景行天皇陵(渋谷向山古墳)」の順になるため、「箸墓古墳」を台与の墓と仮定するならば、その後を継いだ大王・崇神天皇の墓は「西殿塚古墳」であるとみることが自然なのです。

宮内庁が崇神天皇陵とする行燈山古墳(Wikipedia)

さらに「西殿塚古墳」に隣接して、第26代継体天皇の皇后・手白香皇女(たしらかのひめみこ)の真陵とされる「西山塚古墳」が存在します。

『延喜式』には次のような記述があります。

「衾田墓 手白香皇女。在大和国山辺郡。兆域東西二町。南北二町。無守戸。令山辺道匂岡上陵戸兼守」

これを訳すと、「手白香皇女の衾田墓は大和国山辺郡に所在し、東西・南北それぞれ二町(約220メートル)四方の区域を持つが、専属の守戸はなく、山辺道にある匂岡上陵(崇神天皇陵)の守戸が兼務していた」となります。

すなわち、崇神天皇陵は手白香皇女の墓に隣接していなければならないことになり、この条件から考えると、「西殿塚古墳」こそが崇神天皇の真陵である、と推定できるのです。

「卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳を検証――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、崇神天皇台与箸墓古墳古代日本倭国カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る