『べらぼう』に登場した吉原遊廓はどんな構造だったのか?見取り図や浮世絵で内部を歩く (1/7ページ)

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『べらぼう』に登場した吉原遊廓はどんな構造だったのか?見取り図や浮世絵で内部を歩く

江戸時代の幕府公認遊廓、吉原。ひとくちに吉原といっても、江戸時代初期に日本橋にあった元吉原、1657年の明暦の大火後に浅草の裏手に移動してからの新吉原の2つあり、落語などに出てくる「吉原」はたいてい新吉原の事を指します。

今回はその新吉原遊廓を見取り図や浮世絵でご案内します。

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吉原につくまで

吉原の入り口はたった1つ。北側の吉原大門です。そこにたどりつくには、土手八町と呼ばれる日本堤(八町堤とも)を通りました。

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