盲目的な愛の果てか?歴史的冒涜か?女帝・孝謙天皇が強行した道鏡の皇位継承問題とは【前編】 (1/6ページ)
奈良時代後期の769年(神護景雲3年)、九州・大宰府から朝廷を震撼させる知らせが届いた。
「僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を天皇に立てれば、天下は泰平になる」。宇佐八幡宮の神託として伝えられた衝撃の内容であった。
道鏡とは孝謙(重祚して当時は称徳)天皇の寵愛を受け、朝廷の最高位である法王にまで上り詰めた僧侶である。
この神託を大いに喜んだ天皇は、真偽を確かめるべく宇佐八幡宮に使者を遣わした。だが、再度の託宣は「天皇の位は必ず皇統の血を引く者が継ぐべし」と告げ、道鏡の即位の目論見は阻止される。
初代・神武天皇以来、「万世一系」(ばんせいいっけい)――永久に一つの皇統が続くこと――を原則とする天皇家において、なぜ孝謙天皇は、皇族の血を引かぬ一介の僧を天皇に据えようとしたのか。
本稿では、日本史を揺るがすこの疑問について[前編][後編]の2回に分けて考察する。
[前編]では、孝謙天皇の人物像を紹介しよう。