『べらぼう』歌麿と蔦重、“二人の男の業と情”因果の果てに「写楽」の絵が誕生!?史実を元に考察 (3/9ページ)
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」より。🄫NHK
劇中では平賀源内?として登場することになる写楽こと東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)。
寛政6年(1794年)5月から寛政7年(1795年)1月にかけて、約10か月間(閏11月を含むため)で145点ほどの作品を世に出しました。
永らく謎の絵師とされてきましたが、その正体は斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべゑ)という能楽師とされています。
東洲斎とは江戸の東にある洲すなわち八丁堀を指し、写楽斎の名は劇中で言及される通り「しゃらくせぇ(洒落臭い)」でしょう。
ありのままを「写」すのが「楽」しくてしょうがない……劇中でも言及されていた通り、写楽の画風はリアリティこそが売りでした。
よくも悪くも被写体の個性を最大限に強調(誇張)して描き出す点に特色があり、歌麿に去られた蔦重が、新たな看板絵師として売り出したのです。
が、ファンからすれば役者の理想を描いてほしいのであり、リアリティを重視した写楽の絵は購買意欲を掻き立てられませんでした。
それで蔦重は写楽を引っ込め、歌麿との関係修復を図ったのですが……果たして本作の写楽は、やはり歌麿が務めるのでしょうか。