『べらぼう』歌麿と蔦重、“二人の男の業と情”因果の果てに「写楽」の絵が誕生!?史実を元に考察 (7/9ページ)

Japaaan

家斉が後世「オットセイ将軍(精力盛んの意)」と呼ばれた裏には、こうした父親の願いがあったのかも知れません。

精力強化に熱心!?”夜の営み”で数々の伝説を残す江戸幕府11代将軍・徳川家斉

妻の一人?が家斉に「お伝えになった方がよろしいのではございませぬか?」と進言した内容が気になりますね。果たして「例の噂」とは何でしょうか。

異国対策など国内外で政治資金が必要な折に、もっともっと子作りをさせるために大奥へ予算を割くよう、老中たちへ迫る治済。ようやく「こいつは曲者だ」と思ったところで、後の祭りというものです。

「日の本の諸国を「一橋」の血脈で染め上げてこそ、謀叛のおそれもない心一つの真に安寧の世となるではないか」

と言い張る治済ですが……仮に日本全国六十余州、三百余藩を一橋の血脈で染め上げる野望が果たせたところで、謀叛の心配は絶えず付きまとうでしょう。

また、日本全国が一橋一族でまとまったとしても、その先に広がる世界までは見えていません。

果たして一橋の野望はどこまで膨張するのか……そんな中、かつて家斉の乳母であった大崎(映美くらら)が治済の元へ逃げ込んできました。物語の最終盤に向けて、彼女がどんな立ち回りをしてくれるのかも楽しみです。

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