『豊臣兄弟!』父・道三を討ち“親殺し”の烙印…信長が恐れた英傑・斎藤義龍(DAIGO) 再評価すべき生涯 (4/9ページ)
稲葉山城(岐阜城)復興天守と岐阜城資料館(Wikipedia)
当時の道三は、家臣団との関係が必ずしも盤石ではなく、領国経営にも不安が生じていたとみられています。実際、斎藤家中のみならず、美濃国内の有力国衆の多くが、次第に義龍へと傾いていきました。
その結果は、長良川の戦いで如実に表れます。義龍が約17,000の兵を集めたのに対し、道三の兵は約2,500。兵力差は歴然としていました。
それでも道三は退きませんでした。劣勢を承知のうえで野戦に打って出たその姿には、「討たれるならば正々堂々と」という道三らしい矜持が感じられます。
また、戦いの前夜、道三は信長に「美濃一国を譲る」との書状を送ったとも伝えられます。しかし、この信長宛書状の原本は現存しておらず、史実かどうかは判然としません。
道三にとって美濃は、父・長井新左衛門尉(西村勘九郎・松波庄五郎)とともに二代にわたる苦闘の末に手に入れた国でした。それを内紛によって失うことは、決して本意ではなかったはずです。