『豊臣兄弟!』父・道三を討ち“親殺し”の烙印…信長が恐れた英傑・斎藤義龍(DAIGO) 再評価すべき生涯 (7/9ページ)

Japaaan

織田信長。NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより

美濃はまだ不安定。そう考えれば、信長がこの機に乗じて侵攻しても不思議ではありません。

ところが、信長は義龍の存命中、美濃へ本格侵攻していないのです。いや、より正確にいえば「できなかった」のです。

なぜ信長は動けなかったのか。その理由こそ、義龍という武将の実力を物語っています。

代表的な要因として、次の点が挙げられます。

・信長と不仲とされる弟・織田信行や庶兄・織田信広への調略。さらには犬山城主織田信清との同盟など、対信長工作を展開。
・浅井氏・六角氏と縁戚関係を結び、周辺勢力との連携を強化する。
・将軍・足利義輝に認められ、相伴衆に列せられる。
・左京大夫に任じられ、「一色」の名跡を継承。旧守護・土岐氏を上回る格式を獲得。
・国内の所領整理(貫高制の推進)を進め、統治基盤を固める。

つまり義龍は、外交・軍事・中央権威の獲得・内政改革を同時並行で進めていたのです。

矢継ぎ早に打ち出される施策と実行力。その総合力があったからこそ、信長は美濃へ決定的な一手を打つことができなかった

義龍は、単なる「父殺しの梟雄」ではありません。

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