『豊臣兄弟!』父・道三を討ち“親殺し”の烙印…信長が恐れた英傑・斎藤義龍(DAIGO) 再評価すべき生涯 (8/9ページ)
信長を足止めした、紛れもない実力者だったのです。
義龍の死がもたらした運命の分岐点
信長を寄せ付けなかった斎藤義龍は、1561年(永禄4年)11月、33歳という若さで突然この世を去りました。死因は病と伝えられますが、詳しいことはわかっていません。
その前年の1560年(永禄3年)4月には次男・菊千代が早世し、さらに7月にはその母である正室・一条氏も病没。相次ぐ不幸に見舞われた直後の、義龍の急死でした。
しかし、この死は織田信長にとって決定的な転機となります。「最大の壁」が、突如として消えたのです。
義龍死去からわずか2日後、信長は木曽川を越えて美濃へ侵攻。防衛にあたった日比野清実・長井衛安が討ち死にするなど、斎藤方は痛手を被りました。
家督を継いだのは、わずか15歳の嫡子・龍興。ここから信長は一気に美濃攻略を加速させ、やがて稲葉山城陥落へと至ります。
龍興はしばしば「無能」と評されます。確かに父・義龍と比べれば、政治力・軍事力ともに見劣りしたのは否めません。しかし、その実像は「龍興が劣っていた」というよりも、「義龍があまりにも優秀だった」と見るべきでしょう。