『豊臣兄弟!』父・道三を討ち“親殺し”の烙印…信長が恐れた英傑・斎藤義龍(DAIGO) 再評価すべき生涯 (6/9ページ)

Japaaan

斎藤義龍像/常在寺蔵(Wikipedia)

一方で義龍は、内政の立て直しにも着手します。日根野弘就・竹越尚光・日比野清実・長井衛安・桑原直元・安藤守就の六名に連署状を出させ、政務を分担させました。これは家中の結束を図り、統治体制を安定させるための布石だったといえるでしょう。

さらに1557年(弘治2年)9月までに、それまで名乗っていた「范可(はんか)」を「高政(たかまさ)」へと改名します。この改名は、道三の影を振り払い、新たな美濃国主として歩み出す決意表明でもありました。

義龍存命中、信長が美濃に踏み込めなかった理由

斎藤義龍と織田信長は、濃姫を介して義理の兄弟という関係にありました。しかし、義龍が道三を討ったことで、両者は完全に敵対します。

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