【豊臣兄弟!】後に藤吉郎(秀吉)と対立し非業の末路…戦国武将・佐々成政(白洲迅)の壮絶な生涯 (2/7ページ)
天文19年(1550年)に織田信長(小栗旬)へ仕えますが、兄たち(佐々政次・佐々孫介)が相次いで討死したことから、永禄3年(1560年)に家督を継ぎました。
武勇に優れていたため永禄10年(1567年)に信長が編成した黒母衣衆に組み込まれ、その筆頭に抜擢されます。なお同時期に編成された赤母衣衆は前田利家(大東駿介)が筆頭として率いました。
その後も信長に従って武功を重ね、足利義昭を奉じての上洛や伊勢進攻、浅井・朝倉攻めなどで活躍します。
しかし天正2年(1574年)の長島一向一揆では長男の松千代丸(まつちよまる)が討死するなど、決して無傷ではありませんでした。
柴田勝家の与力として北陸方面へ進撃
天正3年(1575年)の長篠合戦では前田利家らと協力して鉄砲隊3,000を率いて武田勝頼の軍勢を撃破。やがて越前国を征服した信長により、柴田勝家(山口馬木也)の与力につけられます。
勝家の与力として北陸方面軍に配属された成政は前田利家・不破光治(ふわ みつはる)と共に府中三人衆と呼ばれました。