【豊臣兄弟!】後に藤吉郎(秀吉)と対立し非業の末路…戦国武将・佐々成政(白洲迅)の壮絶な生涯 (3/7ページ)
三人衆は与力でありながら半ば独立した勢力を持ち、情勢に応じながら北陸と上方を行き来しながら遊撃隊的な役割を担います。
そして前進を続けた先に「越後の龍」こと上杉謙信との対決に臨み、天正5年(1577年)9月の手取川合戦では敗退を余儀なくされました。
しかし天正6年(1578年)3月に上杉謙信が急死すると形勢が逆転、ついに加賀国を平定し、能登国や越中国へ進出したのです。
本能寺の変で動揺
謙信の後を継いだ上杉景勝との抗争はなおも続き、ついに越中国を平定した北陸方面軍は、上杉の本拠地である春日山城(新潟県上越市)に迫る勢いでした。
しかし天正10年(1582)6月に京都で本能寺の変が発生。明智光秀の謀叛によって信長が横死を遂げたことで、北陸方面軍に動揺が走ります。