朝ドラ『風、薫る』DV夫と決別し女性の自立を支えた“熊本の猛婦”…校長・梶原敏子のモデル・矢嶋楫子の生涯 (4/8ページ)

Japaaan

だから自分で自分を治めなさい」と生徒たちを諭したそうです。

明治20年(1887)1月に、桜井女学校内に『桜井看護婦養成所』が開校され、大関和・鈴木雅らが入学しました。

さらに、明治23年(1890)に、櫻井女学校と新栄女学校は合併して女子学院となって楫子は初代院長に就任しました。

朝ドラ『風、薫る』梅岡女學校のモデル「看護婦養成所」とは?りんと直美が目指したトレインド・ナースを史実から考察

そんな優秀な楫子ですが、喫煙の習慣があり、タバコの火の不始末でボヤ騒ぎを起こし大いに反省してやめたというエピソードもあります。

矢嶋楫子『日本女性運動資料集成 第8巻』不二出版、1997年10月30日。wiki

楫子は、婦人矯風運動(禁酒運動)に率先して参加するようになります。酒乱夫の狂気ぶりを間近で見ていたので、アルコールの弊害をよくわかっていたからでしょう。

「朝ドラ『風、薫る』DV夫と決別し女性の自立を支えた“熊本の猛婦”…校長・梶原敏子のモデル・矢嶋楫子の生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、矢嶋楫子風、薫る明治時代朝ドラカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る