朝ドラ『風、薫る』DV夫と決別し女性の自立を支えた“熊本の猛婦”…校長・梶原敏子のモデル・矢嶋楫子の生涯 (5/8ページ)

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明治19年(1886年)には東京キリスト教婦人矯風会を組織、初代会頭に選ばれます。翌年には「一夫一婦制の建白」「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続しました。

明治26年(1893年)60歳のときには、矯風会の全国組織を結成、日本キリスト教婦人矯風会会頭となりました。

世界で一番チャーミングなお婆さん

精力的な活動をしていた楫子は、明治39年(1906年)74歳にして渡米し、万国矯風会第7回大会に出席、ルーズベルト大統領と会見します。

さらに、大正9年(1920)には欧米、翌10年(1921)には満州、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米と、精力的に活動。このとき楫子89歳でした。大正3年(1914)、女子学院院長を後裔に譲り、名誉院長として退きました。

その後は禁酒運動、公娼制度廃止運動などに尽力し、大正14年(1925年)6月半ば、眠るように大往生を遂げそうです。

矢嶋楫子のエピソードで印象的なのは、1920年に渡米した際に全米の話題となりホワイトハウスに招かれたとき、時の大統領から「世界で一番チャーミングなお婆さん」と言われたこと。

また、宿泊したアトランティックシティのホテル・デニスで日の丸が掲げられていたので、なぜか?とホテルのマネージャーに尋ねると、「世界の平和のために、九十歳の老人のあなたが海を越えてはるばるアメリカに来られ、私どものホテルに泊って下さったのは無上の光栄です。敬意を表して日の丸の旗をあげました」といわれたという話も伝わります。

楫子は米国の至る所で歓迎され、ウィスコンシン州では、真夜中に急行列車が不意に停ったので事故でも起きたのかと思ったら、楫子を歓迎する人々が何千人と集って急行列車を停めてしまったそう。

すごい人気ですよね。楫子はその活躍ぶりに「肥後の猛婦」とも呼ばれたそうです。その人生や生き方は現代にも伝わり、2009年にはドラマに、2022年には常盤貴子さん主演で映画「われ弱ければー矢嶋楫子伝」が作られています。

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