朝ドラ『風、薫る』DV夫と決別し女性の自立を支えた“熊本の猛婦”…校長・梶原敏子のモデル・矢嶋楫子の生涯 (6/8ページ)

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矢島楫子ら(1921年11月7日)wiki

女学校の校長と看護婦養成所所長を兼任

朝ドラ『風、薫る』では、梶原敏子は明治時代初期に学制が導入された時に教員となったようで、梅岡女学校の校長・梅岡女学校付属看護婦養成所の所長という存在です。

モデルでは?といわれている矢嶋楫子も、明治6年(1873)に小学校教員伝習所を卒業し小学校訓導試験にも合格し、桜川小学校の教員として採用され赴任したという史実があります。

(ちなみに、ドラマに登場したクラシカルで可愛い外観の梅岡女学校は、茨城県土浦市にある『県立土浦第一高校(旧茨城県立土浦中学校)本館』で撮影されています。本館は明治37年(1904)に建てられたゴシック様式を基本とした建築物で国指定重要文化財です。)

また、ドラマでは梅岡女学校の校長と付属看護婦養成所の所長を兼任していますが、モデルとされる矢嶋楫子も、桜井女学校の校長代理と附属看護婦養成所の所長を兼任しています。

『明治のナイチンゲール 大関和物語』(著・田中ひかる/中央公論新社)によると、大関和と鈴木雅が通った桜井女学校附属看護婦養成所で、楫子は和に「看護それ自体によって救える命もあれば、看護婦という職業を確立し、女性の経済的な自立を図ることで、間接的に救える命もあります。ナイチンゲールも、『女性よ自立しなさい。自分の足で立ちなさい』と言っています」と伝えたそう。

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