朝ドラ【風、薫る】りんの運命を大きく変える外科医…今井益夫(古川雄大)のモデルとされる佐藤三吉の史実 (7/9ページ)
26歳の頃にベルリン大学に留学して外科学を学び、帰国後は東京帝国大学教授に任じられ、その後医学博士号を授与されます。
さらに、明治34年(1901年)には東京帝国大学医科大学付属医院・院長に就任しています。絵に描いたような優秀なエリートという感じです。
史実では大関和が、外科医局長だった佐藤三吉と知り合うのは、明治21年(1888)に看護実習を終えて、外科の看病婦取締に配属されたのちのことです。
看護婦の待遇改善を佐藤三吉に直訴前項で「和が建議書を病院側に提出した」ことに触れました。実は、そのきっかけは、明治23年(1890)頃、従来から病院に勤務していた看病婦たちが、トレインドナースに触発され、看護の専門知識を学び始めたことでした。
最初、看病婦たちは、洒落た制服を着て、医師に意見するほどの医療知識を持ち、ときには医師の指示を待たず看護にあたるトレインド・ナースを煙たい存在だと思っていたそう。そんな彼女たちに大関和は「ナイチンゲールの看護の教えを説いて、この仕事は崇高なもの」と繰り返し伝えていったそうです。
徐々に看病婦たちは彼女に信頼を寄せるようになり「看護」の勉強に挑戦するように。けれども、向上心を持って勉強しようにも、昼間は病院内での看護作業があるため、夜に寝る時間を削って勉強しなければならないという状態で、看病婦たちは疲弊していきました。
そこで、和は、いきなり外科医局の責任者だった佐藤三吉に対して、看病婦の労働条件や待遇などを改善するための建議書を提出。元・家老の娘らしく難しい漢文で書かれていたそうです。
根回しなどせずに思いついたらまっすぐに突き進む、ドラマの中の一ノ瀬りんにそっくりですね。
ところが、実際、この行為は医局の医師たちの怒りを買い、業務に支障をきたしてはいけないと佐藤三吉は和を解任しました。