『豊臣兄弟!』で描かれる「安土饗応」事件が本能寺の変の引き金か?史実では何が起きていた (2/8ページ)
「本能寺の変」のトリガーになった?家康をもてなした『安土饗応』事件。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
家康をもてなす3日間の饗応役を任命された明智光秀『兼見卿記』(光秀と親密だった神道家・吉田兼見の日記)の5月14日の条には、天正10年(1582)5月14日、武田攻めから安土城にもどった信長が明智光秀に対し、「在荘」(軍務につかなくてもよい休暇のようなもの)を命じた……とあります。
さらに「軍務から解放するから、その代わりに徳川家康が安土城に逗留している3日間は饗応役を務めよ」ということも綴られています。
実際、5月15日、家康は家臣の穴山梅雪を伴い信長のもとを訪れました。
『信長公記』では「御振舞の事、維(惟)任日向守に仰付けられ、京都・堺にて珍物を調へ……」とあり、15日には、光秀はすでに、饗応すべき料理の材料を京都や堺から取り寄せていた様子。
明確な史料はないようですが、光秀は事前に饗応役を申し付けられていて、15日にはすでに準備は整っていたのではとも、推測されています。
ところが、そんなに手際がよさそうな光秀なのに、なぜか突然饗応役を解任されてしまったといいます。